IT業界は華々しくて最先端でスタイリッシュだと考えられがちだ。
しかしそんな憧れをもって身を投じたIT業界で、悪夢のようなプロジェクトで身を粉にして働き精神を病んでしまう人がいる。
わたくしだ。

IT業界はやめろとは言わない。
逃げるスキルを身につけろ。
ITエンジニアの種類
そもそもITエンジニアといいつつその働き方や立場はいくつかある。
●発注元
プロジェクト発足の場。
ここの社員はエンジニアというよりもプロジェクト遂行が主な業務となる。
自社業務とプロジェクト管理、人員管理やコスト管理に追われ過剰労働とストレスに精神を病む社員がとても多い。
●元請け
下請けからも人材を募りプロジェクトに参画する。
これらの取りまとめやエンジニアも兼ねて自社社員も責任者として参画するのが一般的だが、発注元と下請けの間に挟まった人間関係で過剰労働とストレスに精神を病む社員がとても多い。
●下請け
実務をこなす技術要員を派遣する。
商流的には下であり、元請けとの間にを何社も挟むと下請けが受け取る金額も減るため一番給料が安い。その上から無茶ぶりされて過剰労働とストレスに精神を病む社員がとても多い。

救いはないのか!
このような都合上、実際のITスキルは下請け社員が有していることが多い。
✅発注元 …プロジェクト進行能力・忍耐力
✅元請け …管理能力・忍耐力
✅下請け …技術力・忍耐力
下請けも場合によっては二次請け三次請け…と増えていく場合もある。そしてお金の流れも下流に行くほど取り分が減る構造となっているためスキルはあるが給料は安いというエンジニアが多い。
このあたりは日本に優秀なエンジニアが生まれにくい理由と関係しているかもしれないが、収入面の不満や立場の不満を解消するためにフリーランス化する下請けエンジニアは多い。
激ヤバ案件の話
このような背景を踏まえ、わたくしが遭遇した激ヤバなプロジェクトについて参考までに記録してゆく。なおこれをきっかけにフリーランスに転身したためある意味でお世話になったともいえる。
面談
下請け会社のエンジニアは営業が取ってきた案件の発注元へまず赴き、面談を経て双方問題がなければ契約成立と相成る。
そんなわけで自社営業から大手システムの更改案件(システムを新しくするプロジェクト)の話を受けたわたくしは、客先へ赴き面談という名の品定めを受けた。
どんな案件かというと、既存の複数のデータベースを新しい一つのデータベースに移行・統合するというものだった。面談中も先方は妙に焦っており注意散漫な感じがとても気になった。
案件の内容を聞いたわたくしは荷が重いと考え「データベースはちょっと触ったことはあるが、新しい環境へ統合したこもないし移行した経験もないし良くわからない」と辞退するくらいの気持ちで正直に伝えたが何故か採用になり参画することになった。

この違和感を覚えた時点で辞退すべきだったと思っている。
が、会社員だと明確な理由もなく断れないだろう。
迎えた初日
当時はテレワークなどなかったため、プロジェクトに参画すると発注元企業に常駐して仕事をするのが一般的だった。
しかし参画初日に客先の職場へ到着したわたくしは、案内された自席の椅子に座る前に呼び止められて謎の打ち合わせに急遽ぶち込まれたのである。
そしてその場であれこれ質問されたり、とにかく早くしろ早くしろと急かされる始末。
(もちろん何の話かわからない)
こちらはプロジェクトの話も何も聞いていないどころかまだ鞄すら自席に置けてないのに打ち合わせに出ても何も話せるわけもないのだが、とにかく何度も何度も急かされ叩かれた。
さすがに様子がおかしいので、以前からプロジェクトにいるほかの人にそれとなく経緯を聞いてみたところ戦慄した。
✅もともとはデータベース担当が二名居た。
✅今のプロジェクトが始まったころには1名が逃げ出した。
✅残ってたもう1名も最近無事逃げ出した。

最初聞いたときはハムスターか何かの話かと思ったわ。
そして誰も担当する人がいないまま放置された仕事がいよいよもう後がないというところでわたくしが投入されたということらしい。
わたくしはこの業務に対する経験がなかったのに採用されたのはそういう理由らしい。つまりもう時間がないので誰でもいいから入れてなんとかさせる、と。
(引用:集英社 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』)
結果的に「既存システムの保守」と「新規システムへの更改」という二つのプロジェクトを、本来二名でやるところを同時に一人で行うという胃薬の欠かせない案件だった。しかも新規システムへの更改はたったの四か月後で、ロクに進んでいない。
EASY
NOMAL
HARD
VERY HARD
☞ NO FUTURE ピッ
そしてわたくしと一緒に仕事をしたり引継ぎをするはずの人物はもう逃げだした後だ。頼れるものが既におらず、詳しくもない製品の技術担当として時間に追われ成果を出すという難易度SSの案件だった。

縛りプレイかな?
通常であれば発注元や元請けから方針や指示がある。しかしこの現場は詳しい人がおらずわたくしに丸投げ状態であり「何がどうなっているのかも何が必要なのかも何がなんだかわからないけどとにかくイイ感じになんとかしてほしい」という蒸しパン並みにふんわりしたオーダーしか来ないのである。
頼れる者などいない
それからの四か月間は、当然のごとくとんでもない仕事量がわたくしに降り注ぐことになる。日々ひたすらプレッシャーを与えられ急かされ叩かれ働かされた。
✅休憩時間などない
✅終電などない
✅休日など無い
✅とにかく常に急かされる
✅夜勤が二日続くのに日中の会議にも出ろと言われる
時空を歪める客先

この仕事を月曜朝一イチまでに仕上げてください。

いやいや、もう金曜の21:00を過ぎてますが…。

金曜は72時間あります。
それでは頼みますよ。みんな苦しいんだから。
いや、その理屈はおかしい・・・とゴネたところ、お客さんは豹変してブチ切れた。
(引用:集英社『予告犯』)

これはわたくしが悪いんやろか・・
自社は何もしない
さすがにヤバイと思って自社に相談することにした。
その際、自分の不満ばかり述べると一方的な主張になってしまうため以下のように伝えた。

●元々複数名で進めるはずのところを一人でやっていてまともに進まない。
●スケジュールも短く、品質が大きく低下してしまう。
●そうなると自社にも顧客にもよくない。
●なので人を入れて緩和するか、撤退するかの措置を調整してほしい。
これに対する自社の回答はこうだった。

・今のプロジェクトに入ったばかりなのに抜けられたら困る。
・あまり無理をいって顧客の心証を悪くしたくない。
・今の状況を何とかするのが君の仕事でしょう。
・苦労するのは社会人なら当たり前だし、もう少し頑張ってよ。
ある程度予想はしていたが、このように流されてしまった。
何の措置もなしは困ると食い下がったが、うんざり気味にキレられて終わった。
(引用:集英社『予告犯』)

これはわたくしが悪いんやろか・・
この時の「逃げ場はない」という感覚は強烈にわたくしの脳を刻み、退職の大きな要因となった。
加熱する現場
このようなわけのわからない状態でもプロジェクトは進行してゆく。
開発者はもっと悲惨
しかし信じられないことにそんな状況のわたくしはまだマシだったようだ。
アプリケーションの開発部隊、いわゆるプログラマの部隊はもっと悲惨だった。
元々プロジェクトに入って開発を担当していたパートナー会社が会社ごと引き上げてしまい(おそらく危険を察知したのだろう。いい会社だ。)代わりに別の会社の人たちが後釜として急遽参画したのだが、傍目から見ても地獄のような日々を送っていた。
リリースまで残り二か月くらいの時期だと思うが、そんな直前で担当会社が抜けてしまった後釜なのだから相当キツかったのだろう。
そこのリーダー格の人とは席も近かったので深夜帯にたまに仕事しながら話をすることもあったが、虚ろな目をしながらしてくれた以下のような話が印象深かった。
●毎日終電までに帰れないから現場に寝泊まりしていたがそれはやめろと言われた。
●なのでホテルに泊まるかタクシーで帰るしかないが自社からそんなお金が出さないと言われた。
(うまく進んでないのはお前のせいなのだから自分で払えと言われたらしい)
●なので自費でホテル暮らししており、結果その日稼いだお金が毎日そのまま消えてゆく。

今日もタクシー帰りかーというわたくしのボヤきすらマウントになりかねないとは。
かける言葉が見当たらないとはまさにこのこと
脱落する人たち
そんな環境下でもプロジェクトは進行するため、新システムのリリースまで残り一か月も切るころには出社拒否する人やダウンして働けなくなる人が目立ってくる。参画して数か月のわたくしがベテランになるくらいに去る人は多かった。
そうなるとわたくしを含めて残った人に対する負担はさらに大きくなる。
では新たに人を入れるのかというと、プロジェクトのリリースも近い状況で人を追加されることも現実的ではなかった。もし追加されたとしても新しく入った人たちに教える時間など残されていないのだ。
つまりダウンしてしまった人のことはもう諦めて踏み越え、生存している人が残された仕事を背負って歯を食いしばるしかない修羅の道なのである。

わたくしの隣の席に新しく入った人が元気よく「宜しくお願いします!」と挨拶した三日後にはもういなくなったりしたこともあった。
日々の生存確認
最後の方はもう誰が無事で誰が居ないのかすらわからず、毎日皆がお互いに生存確認をする状態になっていた。
(引用元:講談社 『賭博黙示録カイジ』)
・「〇〇さんってまだいる?もう居なくなった?」
・「××さんは体調不良だっけ?それとももうダウンだっけ?」
・「△△さんこれお願いします。え、もういないんだっけ」
・「マジか…□□さんもういないのか…あの仕事どうすんだ…」
こんな悲痛な会話が毎日のように繰り広げられていた。
プロジェクトの終結
今が朝なのか夜なのかも関係ない。土日もない。いつ寝たかも覚えていない。そんな状況を四か月ほど続け、ついにプロジェクトはリリースを迎えた。
プロジェクトのリリース後、発注元の社員が会議の場で言った「ここまで一人の死者も出さずにリリースできてよかったです」といった冗談もあながち冗談に受け止められない。

その場は凍り付いていた。あの時の空気と来たら、、
たったの四か月ほどしか在籍しなかったもののおそらく1年分はゆうに超える労働をしたと思う。
土日は勿論なく、終電を越えたあたりからエンジンがかかるような始末だった。
結果的にわたくしの担当については大きなトラブルもなかったがそこに至るまでの過酷さは筆舌に尽くしがたく、プロジェクトが終わるころにはもうわたくしの精神は限界を迎えていた。
出社拒否できる人はまとも
このような案件に遭遇したとき「出社拒否」という選択肢をとれる人の方が至極健全な思考だと思う。
ただし、わたくしや開発リーダーのような人間は「自分が抜けることで自社やプロジェクトに迷惑をかけてしまう」と考えてしまい、逃げ出すことができないのだ。
これは根が真面目だったり責任感が強いという話ではなく自己肯定感が異常に低い人が陥りがちな状態だと思っている。
自社やプロジェクトに迷惑をかける=自分が無能であると捉えてしまうため、自分みたいなものが迷惑をかけるわけにはいかないと考え、結果として自己の限界まで貢献しようとしてしまう。

不謹慎だが逃げ出せずに過労死してしまう人の気持ちは良くわかる。
あのプロジェクトの状態があと数か月続いていたらわたくしもどうなっていたかわからない。
まとめ
そんなわけでわたくしが経験したブラックなプロジェクトについて記載した。
過酷で尖ったプロジェクトであったがゆえに自分の人生観が大きく変わったのも事実である。
「自分の人生を最優先に考える」
「頑張ってみてダメそうなら逃げてもいい」
「そのために自分で行動を選択できる働き方をする」
このプロジェクト終了後はすぐにまた次のプロジェクトに放り込まれたが、そのころには既にわたくしは半ば放心状態のような燃え尽きた精神であり、いつでも逃げられる自由な働き方をしたいという気持ちが心の中で大きく育っていたのである。